2011年08月30日
牛丼は牛丼にして牛丼にあらず
しかし一概にそうとは言い切れない。
●単位としての牛丼
例えばつきあいでオサレなイタリアンレストランに入ったとする。
ポモドーロ、アラビアータ、ボンゴレ、ボロネーゼ、フェットチーネ、カルボナーラ、コンキリエ、ブカティーニ、リングイネ、ペペロンチーノ、リガトーニ 聞きなれないメニューが並んでいる。
周りのひとがオーダーするので自分もつい1200円ぐらいのパスタを頼んでしまう。
パスタなんて元々原価率の低い食べ物である。それを店の雰囲気で食わされてしまう。
そして心の中でこうつぶやく。「あーあ 牛丼4杯分じゃねーかよ」
このときの牛丼は単位である。
よく東京ドーム○個分という言葉を耳にする。東京ドームの広さを答えられる人は少ないと思うが、広さをあらわす単位としてよく使われる。牛丼も同じような使われ方をする。
これは豚丼やカツ丼ではダメである。ほとんどの店で価格が一定で常に価格競争をしている牛丼でなければならない。故に牛丼は単位として有効なのである。
●ステータスとしての牛丼
学生の頃や働き始めのころは金がないので牛丼だけを注文する。
それがちょっとは稼げるようになって玉子や健康を気遣ってサラダを追加注文できるようになる。
玉子50円。
スーパーの特売品で1パック99円で売られている玉子を5倍の値段で購入するのである。
金額が低いのであまり気にならないかもしれないが、先ほどの牛丼という単位で換算すると牛丼を頼んだら1500円取られるようなものである。かなりのぼったくりである。
それをなんのためらいもなく注文できるようになった時、しみじみと大人になったなと想う。
そして牛丼に紅しょうがを乗せながら将来に目を向ける。近い将来には定食メニューを注文できる男になりたい。そしていつか牛丼屋を卒業し、有名店でメシが食えるようになりたい。
牛丼を頬張りながらそんな成り上がり人生を夢見て、反骨精神に磨きをかける。
自分の現状を知り、野望を思い巡らせ、虎視眈々とチャンスを狙う。
そのためのツールが牛丼である。
以上、二つを例に挙げた。
牛丼は食事でありながら、それだけではないということだ。

